鎌倉の光明寺というお寺の中に材木座幼稚園がありました。
私ははるか昔、その幼稚園の『りす組』→『ぞう組』でした。
70年近い歴史がありましたが、残念ながら今月で閉園となってしまいました。
今日、久しぶりに訪ねてみました。
園舎も園庭もほとんど半世紀前のイメージのまま。
最後の卒園児さん達はぞう組さんだったようで、誰もいなくなった園舎には感謝の言葉がところせましと書き込まれていました。
幼稚園前の桜の木の下で、『どうもありがとうございました。』と頭を下げることしかできなかったのがなんとも淋しい限りです。
光明寺(現在大殿改修中)は1946年当時、『鎌倉アカデミア』という”自由大学”と称された大学の仮校舎となっていました。その鎌倉アカデミア演劇科の学生等により『劇団ひとみ座』が1948年に誕生しました(翌年『人形劇団ひとみ座』に改名)。ひとみ座さんには今でもお世話になっていますが、私のルーツとひとみ座のルーツが同じ材木座・光明寺にあったという事がちょっと照れくさいかな。
それにしても、高倉健のお墓があってびっくりしたわ。
材木座海岸にて。カシパンの子ども。
ヨツアナカシパンかな??
星をひろう。
私ははるか昔、その幼稚園の『りす組』→『ぞう組』でした。
70年近い歴史がありましたが、残念ながら今月で閉園となってしまいました。
今日、久しぶりに訪ねてみました。
園舎も園庭もほとんど半世紀前のイメージのまま。
最後の卒園児さん達はぞう組さんだったようで、誰もいなくなった園舎には感謝の言葉がところせましと書き込まれていました。
幼稚園前の桜の木の下で、『どうもありがとうございました。』と頭を下げることしかできなかったのがなんとも淋しい限りです。
光明寺(現在大殿改修中)は1946年当時、『鎌倉アカデミア』という”自由大学”と称された大学の仮校舎となっていました。その鎌倉アカデミア演劇科の学生等により『劇団ひとみ座』が1948年に誕生しました(翌年『人形劇団ひとみ座』に改名)。ひとみ座さんには今でもお世話になっていますが、私のルーツとひとみ座のルーツが同じ材木座・光明寺にあったという事がちょっと照れくさいかな。
それにしても、高倉健のお墓があってびっくりしたわ。
材木座海岸にて。カシパンの子ども。
ヨツアナカシパンかな??
星をひろう。
コメント
コメント一覧 (11)
うさぎ組さんだったのですね!
本当に突然の閉園、びっくりしました。いつでもそこにあるものだと思っていたのでなおさらです。
昨夜なんとなく、材木座幼稚園…と思って検索したら
閉園とあってビックリ。寂しいです(´;ω;`)ウゥゥ
私は、ぞう組でした。60有余年前です。
今は遠い他府県に住んでいますが、思い出がいっぱい詰まった
幼稚園です♡
10年くらい前に訪れたら、園舎も園庭も当時のままで、
目の前にあの頃の光景が浮かび、懐かしく、立ち去りがたかったです。
私は、うさぎ組でした。
大きい子順に、
ぞう組、うさぎ組、りす組、ことり組でしたね。
こんにちは!コメントをありがとうございました。閉園には本当に驚きました。そして、園舎や園庭が最後まで当時の面影のままだったのにも驚きました。先生たちとおそろいのスモッグを着ていましたね。
ことり組さん!
きりん組さんもあったような…。
年少さんと年長さんで組が変わったような記憶があります。
材木座幼稚園をしっている方にコメントを頂けて、少し淋しさが薄らぐ気持ちになりました。ありがとうございました。
実家に帰った時隣接の墓地から内部を見ましたが、昔のままの懐かしい間取りのままで・・もう一度入ってみたかった~、今年の年始には園庭しかなくて・・
50年も前のエピソードが溢れてきました。
コメントありがとうございます。色々な方と想い出と淋しさを共有出来てよかったなと思いました。
幼稚園バスの運転手さん(きっさんでしたっけ??)や、昔は馬車があったという小屋の中にお風呂があって、海の帰りにひとりずつぽちゃんぽちゃんとつけられた記憶があります。地引網もよくしていました。海や山で遊べる、お寺の中の幼稚園でしたね。
私もぞう組でした☆彡
S39生まれですので、もう50年以上前に通ってたんですね。
バスの運転手さん、お名前が思い出せない。お顔はなんとなく浮かんできます。
とても懐かしくなり、投稿しました。
コメントありがとうございます!
Hiroさま、もしかしたら園庭やお教室でお会いしているかも!
水色のスモッグに黄色い帽子でしたね。
想い出の共有、ありがとうございました☆
しばらくぶりにお邪魔したら、沢山のかつて園児だった方々が集っていらしたのですね。
私は昭和29年生まれですので、YUKIさん達が通っていらした頃、私は中学生だったのですね!
それでも同じ思い出を語り合えるって、不思議でもあり、感慨深いものがあります、楽しい思い出が沢山ある材木座幼稚園が大好きでしたから。のどかな時代ということもあったのでしょうね。。。
運転手さんの「きっさん」よく覚えていますよ。「きっ」と詰まる苗字がとても不思議でした(笑)
たぶんみんなも不思議だったのでしょう。
帰りの時間、バスの前で岸さんを取り囲んで「きっさん」「きっさん」と口々に言っていた私たちを優しく遊んでくださったのを思い出します。
ご無沙汰しています、コメントありがとうございます!
本当に、あの園庭と園舎と送迎バスはたくさんの人が共有している想い出なんですね。
運転手さん、「岸さん」でしたか!そっか~。
みなさまのコメントで、自分のモノクロな想い出に色がついていくような感覚になりました。